2008年5月18日~5月19日
メンバー: EA(L)、HN、YO、MM (記録)
久しぶりの山スキーということで準備不足、思いのほか長かった坪足登り(片道2時間半くらいか)、好天による気温の上昇、週の前半にひいた風邪、2日間連続で3時間しか寝ていない、、、理由を挙げたらキリがないが、とにかくいつになく疲れてばてばてだった。呼吸が浅く、体がだるくてついてこなかった。板をつけたら楽になるかと思ったが、雪がぐざぐざで、登りで何度もこけた。こけるとなかなか体制を立て直せなかった。春の雪の登りは決して侮れない。3:00ごろ登っていると、下りのパーティーと何度もすれちがい、自分たちの時間の遅れを感じた。
甚之助避難小屋 まできたとき、室堂まで頑張る気持ちはあったが、あと標高差500mだというのに、体がついてこなかった。南龍避難小屋に今日の最終地点を切り替えたときは正直ほっとした。南龍小屋は、関西から大きなパーティーがきていて意外にも大盛況だった。自分たちのスペースをつくるために、小屋の中の雪かきをすることになった。数週間前にこのふきだまりを作ったという「ふとどきもの」がいなかったら、自分たちの今日のスペースは確保できなかったかもしれないと思うと「運命のいたずら」とは不思議だ。この雪かき+床ふきに1時間くらいかかった。山屋には体力と気力は必須だ。
食当の私としては、夕飯はリゾットを(狙いはブイヤベース)作るもくろみだったが、なにやらただの「洋風闇鍋」になってしまった。それでもみな美味しいといって食べてくれたが、食事はもうすこし早く作れて軽いものの方がよいと反省した。私だけでなく、YOさんも、HNさんもみな疲れているようだった。長いアプローチだったものなぁ。夜、寝る前に外にトイレにいったら、月が煌煌とりつけて意外なまでに明るかった。夜中何回か目が覚めたが、小屋から見える月はすこしずつ位置を変えて時間の経過を伝えていた。
翌朝は素晴らしい天気だった。空気の冷たさで標高2000mはまだ冬であることを感じる。別山を背中に、白山頂上を目指して尾根を登る。今日も調子はいまいちだったが、EAさんが私と一緒について歩いてハッパをかけてきたので手が抜けなかった。EAさんは、よく歩きながらいろんな話をしてくるが、余裕がなく不本意にも無口にならざるを得ない。あとで写真をみたらこの登りの景色は絶景だった。神様からのプレゼントかな。 ![]()
御前峰(2700m)に10:00着。だんだん風が強くなって、じっとしていると寒かったので、登頂の感動もそこそこに降りる準備を始める。山スキーの登頂は、登りの苦労の割には、いつもこんな風にあっけない。白山でさえこれなんだから、エベレストやマッキンリーなんかの登頂はさぞあっけないことだろう。私は、せっかく買った地図を昼ごはんと一緒に車に忘れてきたので(アホな自分に付き合うのは本当にお気の毒としかいえない)ルートは3人の頼もしい男性にまかせることにした。(というかルートを見る元気もなかったのも事実だが)あとで地図をみて、こんな標高差を移動したのかと、驚いた。かえってあの時知らなくて良かったのかも知れない。
シールをはずして、御前峰の北側を滑降する。1本滑ったら快感で、何をしにここまできたのか、やっと思い出した。そうだスキーに来たんだった、ボッカハイキングではない! 高揚し始めた気持ちと共に大汝峰をトラバースして湯の谷へ滑降する。白山連峰は大きくて、ダイナミックで、そしてやさしく、また懐かしかった。やはり白山は私の好きな山だ。目の前の絶景にひと時の幸せに浸る。
湯の谷から釈迦岳に上がる斜面でシールをつけて、再び苦悩の登りへ。釈迦岳山頂からはまた、シールをはずして雪のあるところまで下るが、それもつかの間。途中から板をはずしての藪こぎ、滝の高巻きと事態は段々深刻に。板を背中につけての高巻きは上から下から木にからみつかれる感覚でとても疲れた。これほど木の枝というものを恨めしく感じることも他にない。ようやく夏道を発見して(発見したときのHNさんのうれしそうな表情が印象的だった。これで生きて家へ帰れる!)地面に雪の残る、新緑のぶなの木立の中をひたすら下を目指して歩いた。荷物の重さで足や背中やいろんなところが痛くなり、へろへろになって、一之瀬ゲートにたどり着いたのは17:00を少し回っていた頃だった。温泉にはいって、金沢でおいしい回転寿司を食べて、帰路についた。
遅い私を待っていてくれ、いろいろ助けてくれた、頼もしい男性3名様、できたてほやほや素敵なおうちで歓待してくれた金沢のNさん夫妻、本当にありがとうございました。苦労も大きかったですが、それ以上にRewardingな週末が過ごせました。 どうもありがとう! |